アイドルと私

アイドル大好きポエムおじさんの備忘録なのでとりあえずアイドルと私の関係性についておぼろげな記憶を思い返して、簡単にまとめたいと思います。

 

 

2013年 アイドルと私の出会い

アイカツ!との出会い

 アイドルなんてAKB?というやつが流行っているらしい。モーニング娘。ってまだ居るんだ。くらいの認識でした。そんなときに、妹が(私には妹が居ます)あるアニメを見ていました。そのアニメがアイカツ!です。

 プリキュアうちの3姉妹といった子供向けアニメを妹が視聴しているのを私は横目で見ていることが多く、その中の一本にアイカツ!があったのです。

 正直な話、当時なぜアイカツ!に惹かれたのかあまり詳しくは覚えていません。おぼろげな記憶だと、妹がアイカツ!データカードダスを収集しているのを見て、そのカードに描かれた衣装の鮮やかさやカードのデザインに惹かれ、そのうちアニメを見るようになりアイカツ!の楽曲を魅力に気付きという順番で徐々にハマっていったような気がします。

 そのハマりようと言えば、近所のアイカツ!データカードダスの筐体があるゲームセンターへ赴き一人でプレイし、iPhoneにも沢山アイカツ!の曲が入っているほどでした。(アイカツの楽曲とMONACAさんに関してはまた後ほど)今思うと高校生とは言え男一人で女児にまざりアイカツ!をプレイしているのは中々社会的によろしくない風景であったと思います。当時の私はその重大さに気付いてはいませんでした。

アイドルとしてのアイカツ

 前述のようにアイカツ!にハマっていった私ですが、まだこの時アイドルとしてではなく面白いアニメとして面白いゲームとしてアイカツ!を見ていたと記憶しています。ですが、段々アイドルとして意識をしていくようになっていきました。それは当時意識はしていませんでしたが、推しが出来たからだったと思います。

 アイカツ!の初期キャラクターの一人に有栖川おとめちゃんというキャラクターが居ました。彼女は第一印象としては天然で中学生という設定に対して幼い、いわゆる電波キャラのようなキャラクターでした。 

 ですが、そういったキャラクター性とは裏腹に作中では彼女がステージに臨む際に人知れず努力し完全なステージを目指しストイックに練習を重ねているエピソードがありました。

 今もですが、私はストイックに努力をする人やそういったものを好きになりやすく有栖川おとめちゃんは私の趣味にぴったり合うキャラクターでした。

 このキャラクター性以外でも、アーケードゲームで有栖川おとめちゃんの持ち曲として収録されていたAngel snowという曲がありこの曲が気にったことも大きな要因でした。

 こうして、一人のアイドルのキャラクター性とパフォーマンスに惹かれ正真正銘私は”アイドル”を好きになりました。ただ単にアニメのキャラクターを好きになったのではありません。

 

2014年 アイドルとは何かと私

Wake Up, Girls!との出会い

 アイカツ!にハマっていた私でしたが、アイドルという概念を意識するようになってからアイカツ!以外のアイドルとはどんなものなのだろうという興味が出てきました。もちろんここで言うアイドルはアイドルアニメのこと。他のアイドルアニメについて調べ始めました。

 当時のアイドルアニメと言えばアイドルマスターラブライブ!がやはり大きなコンテンツでした。身の回りにそういったアニメアイドルが好きな人が居たこともあり、まずはアイドルマスターラブライブ!のアニメを見ようかなと思っていた矢先。新たなアイドルアニメが世に公開されました。それがWake Up, Girls!です。

 Wake Up, Girls!はちょうど私がアイドルアニメに対して興味を持ち出した頃、地上波放映本編のプロローグとなる劇場版が上映されていたのです。「これはいいや、あわよくば古参ぶろう」といったような下心を多少持ちつつ友人と連れ立って私はWake Up, Girls!の劇場版を見に行きました。この時の私は、後々の人生を大きく左右することになるとは思わず本当に軽い気持ちで見に行きました。

Wake Up, Girls!の衝撃

 端的に言えば、劇場版Wake Up, Girls!の内容に大きな感銘と衝撃を受けました。スクリーンの中で生きる少女たちはアイドルとしては三流以下のステージにギリギリ立つことが出来たド素人。でも、彼女たちには確かに一人一人人生がありました。彼女たちはそれぞれの人生の中でアイドルになるという決断を下し、これからの未来に胸を膨らませていたのです。「彼女たちの未来が見たい」そう私は思いました。いったい彼女たちはどこへ向かうのか知りたいと。これは単純に続きが気になるアニメという範疇を超えた衝撃でした。

 Wake Up, Girls!のドキュメンタリーチックな内容にも衝撃を受けましたが、なにより私は作中で扱われた楽曲がとても心に残りその楽曲にとても感動しました。その楽曲が”タチアガレ!”奇しくもこの曲を作曲したのは、前述したアイカツ!で私がお気に入りの曲だった”Angel snow”を作曲した田中秀和さんと同じ音楽制作グループに所属する神前暁さんだったのです。 (あとあと知ることですが、当時アニメにうとかった私は神前暁さんが伝説的なアニソン作曲家だとは知りませんでした。もちろんMONACAの存在も)また、アニメ本編のOP曲”7 Girls War”は神前暁さんと田中秀和さんが作曲をしていました。

 こうして、劇場版を見て強い衝撃を受けた私はアニメ本編を視聴し始めたのですがそこで描かれていたものは私が思っていたアイドルとは遠くかけ離れたものでした。

アイドルと人生

 さて、Wake Up, Girls!のアニメ本編と言えばもしかすると絶望的な作画崩壊を思い出す方もおられると思いますがこれは本筋とは関係ないので特に触れません。

 Wake Up, Girls!アニメ本編ではほとんどライブシーンというものはありませんでした。それよりも、作中のWake Up, Girls!というアイドルグループのメンバー一人一人が自分の人生と向き合いその中で、アイドルが描かれていくというような内容でした。そういった人を描くなかでアイドルを描くストーリー上で、今でも私の心に残っているフレーズとして「アイドルは物語」というフレーズがあります。

 このフレーズを踏まえてWake Up, Girls!を視聴した私は、アイドルというのはステージでパフォーマンスするだけが全てではない。アイドルというのはアイドルとなった瞬間からそのアイドルが歩んでいく道全てがアイドルなのだと分かりました。アイドルとは人生なんだと。

アニメじゃないアイドル

 ここまでWake Up, Girls!のアニメについて書いてきましたが、Wake Up, Girls!は特殊なコンテンツの形態を取っていました。それは、作中のアイドルユニットを現実でも活動させるというものです。

 Wake Up, Girls!は作中で7人の少女がWake Up, Girls!というアイドルグループとして活動する内容ですが、その7人の少女を演ずる声優が作中と同名のアイドルグループを結成し、作中と同じ衣装で作中と同じ楽曲を披露するというコンテンツを展開していました。これは虚実混交と称され、アニメと現実の境目をあいまいにするものでした。今思えばこの特殊な形態が私を狂わせることとなるのです。

 もちろん私はこちらのコンテンツも消費してくこととなります。私は作中で好きだった岡本未夕ちゃんというキャラクターを演ずる高木美佑さんという声優をアイドルを推し始めました。

 

アイドルコンテンツと私

  こうして私はアニメアイドルを推していながらリアルアイドルを推しているというような奇怪な状況に陥りました。

 当時メンバーが更新していたブログを読んだり、ニコニコ動画で配信していた生放送番組を見たり、ラジオを聴いたり。私は一生懸命推しの活動をWake Up, Girls!の活動を見守っていきました。しかし、この中で大きな欠落がありました。それはライブです。Wake Up, Girls!は新人声優ユニット。ライブは基本的に東京で行われ、コンテンツの小ささからその模様が配信されたり映像化されることは稀でした。地方に住んでいる私はアイドルを推しているのにライブに行けない。非常にフラストレーションが溜まっていきました。

 そんな中で、どうしてもライブに行きたかった私は人生初のアルバイトをして資金を貯めWake Up, Girls!の映画を一緒に見に行った友人とライブを観に行くことが出来たのです。たった一回、そのライブは仙台の小さなライブハウスで行われたものでしたが私に本物のアイドルを教えてくれるには十分過ぎるものでした。自分の目の前で汗を流して踊るアイドル、マイクからスピーカーを通って体を震わす歌声、熱狂するファン。アイドルはこんなに楽しいものなのか!私はアイドルの楽しさを何にも知らなかったじゃないか!と実感したのです。アイドルの楽しさはここにあると分かってしまいました。

アイドル論

 さて、ここでは一旦コンテンツから離れて当時私がアイドルに対してどのように思っていたのか軽くまとめたいと思います。

 当時の私は一言で言うとアイドルを信仰していました。本気で以下のように思っていたのです「アイドルは人間ではない、人間から一段階上の”アイドル”という存在なのだ」と。なぜこのように思っていたかと言うと、ステージ上で輝くアイドルは他に無い特別な魅力があると信じて疑わなかったからです。私は当時自堕落な生活を送りなにもかも上手くいかないと思っていました。そういった、努力とは無縁の生活の中に努力で夢を叶える完全に対照的と言えるアイドルという概念が目の前に現れたのです。この自分が持たないものをすべて持ったアイドルという概念は自分の中では処理しきることが出来ず、人知を超えた存在、特別な魅力を持つモノとして捉えていました。

 まだ、理想を描いているアニメアイドルに対してこう思うだけならまだしもWake Up, Girls!の虚実混交というコンテンツ性から生身に人間にまでこういった歪んだ認識を向けていました。

 そして、もうひとつ当時の私が声高に言っていたこととして「アイドル原理主義」というフレーズがありました。これは、”アイドルとファンの接近は許されない、アイドルとファンの距離は一定以上でなければならない”というようなものでした。アイドルとは神聖なものであるし、アイドルに近づき過ぎることによって元来アイドルとして見せるべきでないものまで見てしまえば、相手のアイドルとしてのプライドや挟持を傷つけるという思想からくるものでしたが、「アイドル原理主義」は前述したアイドルへの信仰と後述する現場主義への激しい抵抗からくるものだったのかもしれません。

 

2015年 アイドルと私の別れ

現場主義へのフラストレーション

 私は一度Wake Up, Girls!のライブを観に行ってからその楽しみをコンスタントに得られないことに対するフラストレーションが溜まっていました。また、Wake Up, Girls!は新人声優アイドルというコンテンツの性質上消費できるコンテンツは関東に密集していました。その結果、地方でも消費できるコンテンツでも関東のみで消費されるコンテンツの内容が分からないと楽しめないという状況となってきました。

 ライブに参加出来ないフラストレーション、そして消費できるコンテンツの限定化。更にこういった欠落感により当時アイドルを信仰していた私は神とも言えるアイドルの姿をほんの一部しか見れないことに絶望し、段々自身を追い込んで行きました。

 あれも見れないこれも見れない、インターネット上では自分が楽しむことが出来なかったライブ、イベントでの思い出を語るファンたち。いつしか、アイドルを見ていると楽しいが見れないので辛いという状態になり楽しさより辛さが勝っていきました。

 今思い返すとこの時期は地獄でした。自分のことも何も上手く行かず、唯一の趣味も自分の首を締めるだけ。大好きなアイドルのことを考えれば考えるほど苦痛は大きくなり何も手につかなくなっていったのでした。

 

アイドルとの別れ

 書くか迷いましたが昔のことなので書きます。率直に言うと体調を崩しました。アイドルが好きすぎて体調を崩しました。「〇〇が好きすぎて辛い」とよく言う方が居ますが、本当に好き過ぎると人間体調を崩します。これは本当に笑い話です。自分でも心底バカだと思います。人生最大の汚点と言っても過言では無いでしょう。信仰、と何度も書きましたが私は本気でアイドルを信じるがゆえに自身の体にまで影響を与えてしまい世界一間抜けな殉教者となったのです。

 簡単に言うと四六時中吐き気が止まらず生活が出来ませんでした。もちろん学校には行けずバイトは辞め、家にこもっても吐き気は収まるわけでもなく寝ることすらままならずただただ辛い。

 内科で吐き気止めを処方されても心因性なのは明白で効いたり効かなかったりで無限にこの苦しみが続くようで余計に気が滅入って負の連鎖となり、出席日数は日に日に足りなくなり退学も視野に入ってきました。

 今でもこの時の後遺症、と言うと大げさですが体質が大きく変わってしまい時々不自由な思いもしますが、まあそれはそれです。

 私はアイドルが好き過ぎて、アイドルとは疎遠となりました。正直自分でもちょっと面白い。

最高の終わり

 実は、健康だった頃の私は2015年8月に行われたWake Up, Girls! 2nd Tourのチケットを取っていたのです。行かないという選択肢もありましたが、仙台観光(主に前のライブで仙台に来たときに食べたずんだの虜になりずんだが食べたかった)がしたく単身仙台へと向かいました。

 アイドルと疎遠になった私でしたが、ライブの楽しさは忘れてはいませんでした。この日のライブも最高に盛り上がり汗だくになりながら声援を送り、ライブの演出に涙しました。そしてライブが終わりこう言ったのを覚えています「あああああ!!!これで心置きなく他界できる!!楽しかった!!!!!!!」

 こんなにも楽しいライブにコンスタント参加出来ないなら半端に追っている意味は無いとはっきり自覚し、体調を崩して自然に疎遠となったアイドルときっぱり別れることをここで決意することが出来たのでした。この時の清々しさはしっかりと覚えています。

 

2016年 私の心に眠る憧れとしてのアイドル

親友と私

 私はアイドルとは別れ、他のコンテンツを消費していました。この時は俳優にハマり俳優の松岡茉優さんがとても大好きでした。出演するドラマはもちろん、バラエティ番組や掲載された雑誌、ラジオなどを次々とチェックし満足出来ていました。また、たまたまゲームショップで目に入ったvita版のFate/stay nightを購入しFateというコンテンツにも手を出していました。

 私はアイドルとは別れ、と書きましたが完全にアイドルに触れなくなったわけではありませんでした。というのも私の親友はHKT48のファンで、ことあるごとに48Gのアイドルについての話を私にしてきました。私も推すのでなく、せいぜい美少女動物園程度の認識のアイドルなら同じ過ちを繰り返すことは無いだろうと思い楽しんでいました。

 察しが悪い方でもこれが何も反省していないバカの行動ということが分かるでしょう。本当にどうしようもない奴なのです。アイドルからは逃れられませんでした。

 

心に眠るアイドル

 ちょうど2016年の初頭に48Gの新しいグループが本格的に活動を始めていました。この流れ、2014年にも似たようなことがあったでしょう。やはり、新しいコンテンツというのはそれまで長くあったコンテンツに比べて入っていくハードルが低いのです。

 HKT48のファンだった私の親友は、私にHKT48と48Gの新グループNGT48が合同で参加したバラエティ番組の映像を私に見せていました。本当にくだらない内容でしたが(今見ても本当にくだらない内容でした)なんだかんだ最後まで見てしまいました。きっと友人と共通のコンテンツを消費してワイワイするのが楽しかったんだと思います。

 最終回を見終わった後、私の親友はNGT48のパフォーマンス映像を見せてきました。それまで私は彼女たちをくだらない内容のバラエティに出ている少女としか見ておらず、アイドルとして認識をしませんでしたが、その映像を見てWake Up, Girls!を初めて見た時の彼女たちの未来を見てみたい!という欲求が高まるのを嫌というほど感じたことを覚えています。

 駆け出しのアイドルはダンスは粗雑で垢抜けない少女たちが衣装を着せられて歌っているようなものでしたが一生懸命さや未来への希望という目に見えない輝きのようなものが感じられました。その数週間後、NGT48の楽曲が収録されたCDを買っており自分の愚かさにやはり面白くなってくるほどでした。

 

憧れとしてのアイドル

 無事アイドルとの再会を果たした私でしたが、今度は推しが定まらず箱推しのような形でコンテンツを消費していました。この時に私はアイドルは神格化してはいけないあくまでもアイドルは可愛い女の子を可愛い女の子として見て可愛い以上の感情を持っていはいけないと強く考えていたので推しが見つからなかったのかもしれません。

 ですが、推しは居るものです。当時NGT48のセンターとして奮闘していた加藤美南という少女。お人形さんのようなルックス(推しバカが少しだけ入っています)とは裏腹にスポーツマンタイプで運動神経も良く競争心の強さが発言の端々に出ていました。

 私は競争というのが苦手で、誰かと競うことは避けてきました。やはり、私はアイドルに自分に無い物を、憧れを求めるらしく加藤美南というアイドルに惹かれ推したいと思うようになりました。

 

2017年 大きなコンテンツと私

AKB48 という巨大コンテンツ

 私が48Gに手を出したのは、そのコンテンツの大きさゆえに地方でも消費できるコンテンツが多いであろうと踏んだからというのも一つありました。その予想はもちろん外れておらず、地方に居ながら十分楽しめるコンテンツが供給されました。サービスに対する利用料をしっかり払えばコンテンツが供給され、いわゆる在宅でも一定以上楽しめる需要の暴力でした。

 そして、私の親友は筋金入りの48Gファンのため一緒に楽しめる仲間も居るという何も問題の無い健全なコンテンツ消費が実現しました。弱小コンテンツは需要が発生しない地方で消費しようとすることは非常に愚かで大きな間違いであったことを身をもって理解したのです。

 

アイドルは人間

 前アイドルを推していた頃とは大きな違いが一つありました。それは、アイドルは人間であるということに気付いたことです。アイドルだって一人の現実の人間なのです。体調が悪いときもあれば、機嫌が悪いときもある。嫌なことがあれば落ち込むし、怒ることだってある。そしてなにより、努力は必ず報われるとは限らない。

 Wake Up, Girls!を推していた頃は、アニメアイドルとリアルアイドルを上手く脳内で切り分けることが出来ていませんでした。努力をすれば報われる、途中色々なことがあっても必ず最後はハッピーエンドが待っている。そう信じていました。違うのです、どんなに苦労したってどんなに嫌なことがあったって怒ったってそれは人間だからで、夢へ続く道の一部とは限らないのです。

 なんでこんな簡単なことに気付かなかったのか。私は一つアイドルに対する異常な認識を改めることが出来ました。アイドルコンテンツを消費している時点でどうかしているのは分かっていますが、一つ健全になれた気がしました。

 

2018年 カネとアイドルと私

趣味とカネ

  2018年、私は就職し地元を出ました。就職することで大きく変わったことは2つ。東京への距離が大きく縮まったことと自由に使えるカネが格段に増えたこと。

 今の私は2014年に抱えたトラウマ、現場主義や趣味に費やせる額面の小ささを乗り越え楽しいアイドルオタクライフを送っています。自由に使えるカネが増え、趣味であるアイドルコンテンツに湯水のごとくカネを使っており、それはもうすごく新潟に数万の交通費をかけ数回日帰り旅行に行き、そのうち2回も何もやることが無くて新潟市のどまん中で立ち尽くしたのは贅沢なカネの使い方に他なりません。また、48Gと言えば皆さん思い浮かぶのは選抜総選挙でしょう。選抜総選挙で推しの加藤美南ちゃんに貢いだ額面は5万円程度。これはそうでもないかもしれません。普通に生活に支障は無い程度の出費でした。

 はやく地元を出たいと言う私に母はいつもこう言っていました「地方出たって、お金が無いと何も出来ないんだよ遊ぶにもお金要るんだから」そのとおりでした。カネを趣味にぶちこんで遊びまくると色々出来てほんと楽しい。

 今は加藤美南ちゃんの生写真を集めています。日に日に可愛くなる推しの写真を集める姿はストーカーのようですが、売り物なので問題ありません。

 

最後に

 ほぼ勢いでまとめたもので、かなり独りよがりで難解な文章となっており人に読ませるものでは無くなっています。また、まだ書けていない事項についてもおそらくいくつかあると思います。ですが、私がアイドルと共に歩んできたここ数年はだいたいこのようなものです。改めてざっと見つめ直してみると、最近は私を再度アイドルオタクにした親友と東京で握手会に行ったりライブに行ったり、ついでに飲みに行ったりご飯に行ったり生写真を探しにくりだしたり、なんだか数年前にアイドルで失った青春をアイドルで取り戻しているようだとふと思いました。本当に罪深い人生です。

 私はアイドルオタクという身分はいつまでも続けられるものとは思っていません。きっとアラサーくらいでかなりキツいでしょう。いつも「自分と同い年のアイドルがアイドルで居られなくなったら終わり」と思ってアイドルコンテンツを消費しています。ですが、私はどうも懲りないようなので、きっとその通りには行かなさそうだともこの振り返りで実感してしまいました。

 これから私がどうなるか、きっとその時の私にしか分かりません。2015年の私は2018年の私がこんなことになっているとは夢にも思っていませんでした。だから、とりあえず今の自分に正直に、推しの可愛い顔を見て生きていこうと思います。